あとりえ絵日記
2005

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February21

      薄明に 匂いたつ白き 古今集

朝まだ暗い梅林を通ると、ふわっとほの白く浮かび上がる梅花。。。
梅の種類もたくさんある。最近は名札がボロボロになりすっかりなくなってしまったので、又つけてくれないかなぁと思っていたのが通じたのか、ほとんどの木に、カタカナで書かれた名札が下げられた。いずれちゃんとしたプレートになるのだろう。
漢字を知らない人が見たら「何だろう?」と言うようなものもある。「ムルイシボリ」「サバシコウ」「ケンキョウ」「エンオウ」「テッケン」「ホソバレツコウバイ」「メラ」など。
これは、「無類絞り」「佐橋紅」「見驚」「鴛鴦」「○
懸」(○の部分はオオザト辺に麗と言う字です)「細葉裂公梅」「米良」となる。
。。。ね、難しいでしょう?




夜は西荻窪まで、ウード奏者常味祐司さんのライブを聞きに行った。
バンスリ(長い横笛)とタブラ(小さいたいこ)そして、ヴォーカルのYaeさん(加藤登紀子の娘さん)とのセッションだ。常味さんは「イシュタル」の舞台化の時に音楽をお願いしているので、広吉先生は時々ライブを聞いているけれど私は始めてだ。
バンスリの太郎さんはインド音楽が専門で、アラブ音楽のウードと合わせるのはずいぶん大変だったようだが(インド音楽にない音があるとか)何も知識のない私は純粋に音楽として堪能した。
多分その大変さのところは直線と曲線を立体の一辺にする時の難しさと、それによって生まれる美とがあるように、音楽にもそういうものがきっとあるんだろうと勝手に思った。
やたらすっぱいジンライムを片手にアラビアンナイトは更けてゆく・・・。


February20

柘植淳子展最終日。良い展覧会でしたねぇ。
しっかり「色」と向き合った重さのある美しい調和のある作品です。。
柘植さんは毎日ギャラリーに出勤(?)してお客様の接待をしていました。中学や高校、大学、そして仕事関係などたくさんの友人が見に来てくれました。
アトリエの仲間、そして子どもにも丁寧に説明をして、その誠実さは作品にも表れていますね。
「ユナイテッドキングダム」良いテーマも見つかって、作品ともども開花してゆくでしょう。今後が期待されます。

         柘植
三人姉妹

February18


前回もらったパンフレット、今や貴重品
またまた行ってきました、チャンバラ映画!
錦之助の「沓掛時次郎」とひばりの「おしどり喧嘩笠」。本日までなので、柘植淳子展のオープンに間に合うよう朝一で。。。
またおじさんばっか、かと思いきやおばさんもちらほら。。。その中に横浜にぎわい座で長谷川伸のお芝居に出る女優さんも見かけた。そうか、勉強に来てるんだ。。。
一宿一飯の恩義のため、やむなく刃を交える羽目になった男と交わす男の仁義、斬った男の妻子の面倒を見るうちに次第に惹かれ合うも、女は苦労が祟り労咳で死んでしまう。
泣かせる部分もふんだんに、おじさんおばさんの涙腺がゆるむ。
前の席のおじさんが、いろんな場面にいちいち反応して笑ったり泣いたりしているのがとても可愛いんですね。

そして、休憩時間。入り口でもらった粗末な印刷物(パンフレットくれなかった)を見ていました。今度なにやるのかな〜と、ところが、平成17年2月18日をもちまして、横浜日劇、シネマジャック、シネマベティは閉館します。長い間のご愛顧有難うございました、と書いてあるではありませんか。。。えっ?2月18日って今日のこと?
「おいおい、3館同時に閉館だって、何てこったい!(劇中人物風に言ってみる)ああ我らはこれからどこでチャンバラを見たらいいのよ。
どーりで横浜日劇の前で写真撮ってる人がいた。

横浜日劇は中でも半世紀の歴史があり、林海象監督の「私立探偵濱マイク」シリーズで有名だ。「濱マイク」には知人の修健という中国人の俳優が出ていたのもあり、3回とも見に行った。横浜日劇の2階に探偵事務所がある設定で、周辺の下町や運河、森林公園の競馬場跡までが舞台になっていて楽しめた。
2002年にはTVシリーズ化、各回監督が替わり第12話まで、と言う楽しい企画があり、かなりマニアックな下町の裏通りや飲食店(映画の帰りに通ったら無期限休業状態でした)なども登場していて、「あ、磯村屋だ」なんて言いながら見ていた。中にはつまらないのもあったが若い人のファンクラブまで出来て盛り返していたようだった。

図らずも一時代を作った映画館の終焉に立ち会うことになって、複雑な思いで急な山羊坂を昇って帰ってきた。昇りきってからいつも決まって後ろを振り向くと、そこに広がる下町はアルカディアのように見えたものだ。
でも、なんだか狭苦しくなっちゃったなぁ。。。

この話を若者にしたら、
「この間ぼく関内アカデミー(現在関内MGA)に行ったら閉館だってさ」
「うっ・・・」




February12


馬の博物館公園側の門
庭には日替わりで鳥が来て楽しんでいます。
オナガも来ましたが警戒心が強いのですぐ去ってしまいました。最近はヒヨドリばかりで、「うるさいなァ」と勝手なもんです。

森林公園の池はといえば、つがいが一組だけ。。寂しいですが、「このカップルから赤ちゃんが生まれるかもしれないね」とちょっとだけ期待しながら、たまにパンをあげています。
すると、沼杉の梢からヒヨドリが飛んできて投げたパンをキャッチするんです。この子はとても可愛い。セキレイまで飛んできたのにはビックリ。。。
セキレイは水面に落ちたパンを飛びながらとります。見事です。


朝の寄り道、ほっとする時間です。



February4

伊勢佐木町から一本裏通り、黄金町近くのシネマジャックへ映画を見に行った。ここにはチャップリンの映画やチャンバラものを時々見に来る。長谷川伸月間で、今週は「一本刀土俵入り」と「抱寝の長脇差」(だきねのながドス)どちらも股旅もの(うわ〜古いね)。
こういう出し物のときは半分くらい埋まった客席はほとんどおじさんばかり。で、トイレがおじさんたちがタバコを吸っている煙もうもうの道を通らないと行けないのが難点だ。

長谷川伸はこの近く、明治17年、日の出町の出身。家は裕福な大店で、黄金橋をかけたほどだったが、4才で母と生き別れ、8才で一家は破産の上離散、小学校を中退し、肉体労働や出前などを転々としながらも文学の勉強を続けた。もう、これだけで泣けちゃう人生ドラマ!その後兵役、新聞記者などを経て大衆文学を確立、任侠ものの原型を作ったと言えます。。
森林公園の梅

古い映画なので全編ザーザー雨降りの上、ブチブチ切れたりして楽しい。やむにやまれずやくざになって、恩ある人を窮地から救ったり恩返ししたりする話が多い。かっこよく言うと、民衆の側に立って闘う男の美学。チャンバラは二人とも子どものころから好きです。(それで「花一座」を作ったんです)

チャンバラが始まると、オーケストラが慌しく始まるんですよ。善良な人がピンチになるとダダダダっと主人公が駆けつける。ドンドンドンドンと太鼓、シンバルがジャ〜ン
バイオリンが一斉に忙しく鳴る。。。もう、何が何だかみんな大暴れ、伐りまくって、最後に島をのっとろうとした悪い奴らが遣られる。。。と言う具合。至極単純明快な話ですが、確立するのは大変なことです。

まだ江戸の雰囲気の残る風景、人の匂いのする町、義理と人情の篤い熱い世界がそこにあったのでした。


February3



メジロ
まあ、来るわ来るわ小鳥たちが。。。
本日は、メジロ、ヒヨドリ、ツグミ、ムクドリ・・・
お店は大繁盛、小鳥の楽園です。
最近はすずめが少なくなったとみんな言います。
そういえば、チャボがいたときは、朝ごはんの時間になるとすずめがたくさん来ました。
柿の木に来るすずめに毎朝ダンが吠えていたけど最近はあまり見かけませんね。。


受験生に「愛鳥週間」のポスターを描かせたら、
「no bird no life」とタイトルを入れていました。パクリだそうですが、妙に納得。


February2

庭の夏みかんの木が伸びすぎたので、近所の植木屋さんに剪定してもらいました。柿の木も少しだけ、栗の木は去年一個も実をつけなかったので、今年は伐らないで・・・とお願いして。
さっぱりとサンパツされた夏みかんの木は風通しがよくなって、辺りにも陽が良く当たり気持ちよさそう。。。
それを待っていたかのようにモズが梅の枝に来て、ゆっくり尾を上下して日向ぼっこ。メジロやウグイスなどの小鳥のようにそわそわしない。「きっと自信があるのね」などと話しながらアトリエの中から覗いていた。茶色い丸い頭がなんとも可愛い。
「ハヤニエ見たいね」
「バッタはまだいないよ」
栗の根元の方に飛んで虫を捕獲したり、夏みかんの木に移ったりしながら夕方まで遊んで帰りました。

           
モズ


February1

     過ぎし日の 凍み空にありし 北斗かな


久々に一句。
ビュービュー北風の中、見上げる頭上に北斗七星。子どものころはもっとはっきり見えたっけ。。。毎朝氷が張って寒かった。外の水道管に凍らないように布を巻いておいたけど、それでも凍ってお湯をかけて溶かした。父と銭湯の帰りに手ぬぐいを回しながら坂を上って帰ってくると、手ぬぐいはピンと凍って一本の棒になった。

あったかい冬ね、と喜んでいられない状況の21世紀。このまま温暖化が進むと地球は百年もたないそうです。みんなで身の回りの出来ることからやろうよ。

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